こんにちは。
今日のテーマは「本とは何か?」です。
ちょっとテーマが大きすぎますけど、自分なりに紐解いてみたいと思います。
何事も挑戦ですからね。
段階を分けて紐解いていきます。
2、言葉とは何か
3、本と言葉の違い
4、本とブログの違い
5、本を通して、別の世界へ
6、世界に本がなかったら
です。
言っておきますが、僕は本や言葉について専門的に勉強したことはありません。
普段考えていることをあれこれ語るだけです。
Sponsored Link
人それぞれ色々な定義があるでしょう。
今回は本を「文字や絵が複数の紙に印刷され、綴じられているもの」にします。
(人によっては狭義(または広義)だと感じるでしょうが、今回は我慢して下さい)
本という名前ですが、「木」という漢字に一本線を加えたものです。
この一本線は印で、[「本」という字は「木のその部分」のことだよ]ってことです。
木の真ん中、下には根っこがあります。
つまり昔の日本人は本を「(人間の)根っこ」だと考えていたのでしょう。
それだけ重要視していたということです。
でも、考えてみればそうですよね。
本は言葉を詰め込んだものです。
人は言葉によって思考します。
言葉によってしか思考できません。
そして思考は、人そのものといってもいいくらいのものです。
本は、言葉を伝える伝達手段です。
読むことで、生きていく糧になったり、単純にどきどきしたりします。
言葉と同じように。
僕は大学の時に本屋でバイトをしてて、それがきっかけで本を読むようになりました。
本を読むのが楽しくて楽しくて、授業そっちのけで本ばかり読んでいた時期もあります。
本を読まない人は、本の面白さを知らないだけではないかなと思います。
気の合う相手との会話が嫌いな人なんていないですよね?
現在においても、言葉の起源ははっきりと分かっていません。
言葉には1つ以上の概念がありますが、概念に対応する言葉が無い場合も多々あります。
だから、考えていることを正確に言葉にするのは不可能です。
でも、誰かに何かを伝えたかったら言葉しかないです。
(絵や音楽で言葉以外のものを伝える人もいるかもしれないですね)
言葉という不完全なツールを使って、コミュニケーションするしかないです。
もともと不明瞭な「こころ」を、不完全な「ことば」をつかって表現するんだから、ずいぶんとあやふやなもののはずなんですが、言葉の持っている「あからさま」な感じはなんなのでしょうか。
言葉にすると消えちゃうのに、言葉にしないと伝わらないなんて二律背反ですね。
ジョージ・オーウェルの一九八四年という本で、政府が組織的に言葉を減らしていく描写があります。
言葉を減らせば、思考の幅が狭くなって、余計なことを考えなくなるというものでした。
恐ろしいですね。
そう考えると、新しい言葉(チョベリバとか)が生まれるのは喜ばしいことではないでしょうか。
ひとつ言葉が増えれば、それだけ可能性が広がるということなのですから。
激おこぷんぷん丸がスタンダードになる時代だってあり得るわけです。
本は言葉を詰め込んだものですが、本と生の言葉の違いとは何でしょうか。
言葉を、わざわざ文字にして本にするメリットは2つあります。
まずは、言葉を冷静に整理できること。
生の言葉はあまり推敲せずに口から出ていってしまうので、適切ではなかったり、矛盾していたりすることがあります。
著者は本にすることによって、自分の言葉を削ったり膨らましたりして、伝えやすくすることができます。
読者は本という形があることによって、全体像を理解でき、細部を読み直すことができます。
小学校に算数を教科書なしで教えようとすると、かなり大変ですよね。
生の言葉というのは形がふわっとしている場合が多いですが、本はしっかりと形としてそこにあるものだと思います。
そして本にするもう一つのメリットが、人に会う必要が無いということです。
言葉はその人からしか出てきませんから、話を聞きたいと思ったら会いにいくしかありませんよね。
ハリーポッターという話がJ・K・ローリングの頭の中にしかなかったら、聞くのは相当な苦労がいります。
しかし本があれば、本屋さんに行ってお金を払えば、簡単に「ハリーポッター」というストーリーを読むことができます。
実際に会いに行くことと比べれば、とんでもないくらい安い買い物です。
同じようにビジネスマンが全員ドラッガーの講演会に行くのは、ハードルが高いですよね。
直接会うことなく、好きなタイミングで簡単に安価で「言葉」に触れることができるのが、本の優れた点です。
僕も今こうしてブログを書いていますが、本とブログの違いは何でしょうか。
これも2つあります。
まず1つ目は本はクオリティが高いです。
もちろん、すべての本がそうというわけではありませんが、一般的にはブログより本の方が内容のクオリティが高いです。
ブログは僕も含め、素人が好き勝手書いているものが多いです。(プロ意識があるブログもたくさんあります)
それに比べて本は、著者のプロ意識が高く、出版社のチェックも入りますので、雑なものはそんなに多くないでしょう。
2つ目は本は無人島に持っていけます。
本はブログと違い、それ単体で完成されたメディアです。
PCもネット環境も電源も不要です。
鞄に入れておけば、1秒で読み始められます。
それ単体で楽しめるものというのは以外に少なく、娯楽の多くは電源を必要とします。
リアルタイムな情報では本よりブログが圧倒的に強いですね。
今日公開の映画の感想を、すぐ読めますからね。
スピードは凄まじいです。
本は読むことで、別の世界への扉を開いてくれることがあります。
良い小説というのは、食事や睡眠について書いてあることが多いですし、本の舞台になっている場所に行くのも楽しいです(今風に言うと、聖地巡礼ですね)
ブロードウェイの舞台裏や、宇宙飛行士の仕事内容、魔界や現実世界の恐ろしいもの、甘酸っぱい恋愛やスポーツに関することも、本なら簡単に知ったりできたりしてしまいます。
キャプテン翼を読んで、実際にサッカー選手になった人も結構多いとか。
本を読むということは、新しい扉を開くということです。たくさん本を読んで、どんどん素敵な出会いをしたいですね。
長々と書いてきた記事ですが、最後に本がない世界について考えてみます。
どうなるでしょう。
アインシュタインの名言に
「ある年齢を過ぎたら、読書は精神をクリエイティブな探求から遠ざける。本をたくさん読みすぎて、自分自身の脳を使っていない人は、怠惰な思考習慣に陥る」
というものがありますので、過ぎたるは及ばざるが如しなのかもしれませんが、それにしても本が1冊もなかったら。
生の言葉でしか情報や物語を知ることができないから、世界を行き交う情報量がぐっと減るでしょう。
インターネットが無くなるのと、どっちが大変なことになるでしょうか。
本が無い世界は、たぶん今よりはつまらない世界でしょうね。
本があってよかったです。
「ワンピース」で学者たちの本を燃やす描写がありました。
政府の都合の悪い研究データや資料をこの世から無くそうとするシーンです。
こういうことは実世界でも起こっていることでしょう。
実際に日本でも、そう遠くない過去には本の検閲があり、政府が本の選別を行っていました。
江戸川乱歩の「芋虫」も掲載時は伏せ字だらけだったそうです。
本がなかったら、その情報もないのとほぼ同義なのかもしれませんね。
ということは、本が無い世界は物語の無い世界ってことになるのでしょうか。
実際には個々の頭の中に色々な物語はあるでしょうから、「共通の物語」が無い世界ですね。
もっと本を読む人が増えてくれるといいなと思ってます。
最後まで読んでくれたかた、ありがとうございました。
Sponsored Link